泣き叫ぶ子どもに怒ってしまった私…パニックと不安にどう寄り添えばよかったのか

朝4時。

突然、娘の「ギャーーー−−!」という叫び声で目が覚めました。

隣で寝ていた娘が、顔を真っ赤にして泣き叫ぶ姿に何が起きているのかわからず混乱するばかり。

「虫がいる!!」「怖い!怖い!」「ママーーーー!!」

虫なんていないのに何かを振り払うようにして泣きながら叫んでいました。

「どうしたの?」「落ち着いて」と、なんとか娘を落ち着かせようと声をかけました。

でも、娘はパニック状態のまま涙と汗でぐちゃぐちゃ…

私の声も届かず、ただ怖がり続けていました。

私も眠さと娘の泣き叫ぶ声に余裕がなくなり…

「もう、いい加減にして!黙って寝てよ!!」

そう怒鳴ってしまった瞬間の娘の顔__。

涙と鼻水まみれで、怯えたように目を見開いた顔。

その表情が、今でも頭から離れません。

親なのに…守ってあげるべきなのに…優しくできなかった…。

あの朝のことを思い出すたび、胸が痛くなります。

どうして私は怒ってしまったんだろう。

同じように、泣き叫ぶ子どもに同接していいかわからず「もう限界…」と感じたことのあるお母さんはいないでしょうか。

不登校や特性のある子どもを育てていると、想定外の反応や、感情の爆発に立ち尽くすことがあります。

そんなときに必要なのは『完璧な対応』ではなく『子どもと一緒に立ち直っていく力』なのかもしれません。

今回は、私自身が経験した”泣き叫ぶ娘への怒りと後悔”をもとに、母親としてどう寄り添えばよかったのかを考えていきます。

泣き叫ぶ子どもに怒ってしまった私_それでも関係は崩れない

泣き叫ぶ我が子に怒ってしまった。

その後に押し寄せる自己嫌悪と後悔。

でも、あの日から学んだのは”怒ってしまっても、やり直せる”ということでした。

怒りは母親失格ではなく、心が限界を迎えたサイン

泣き叫ぶ子どもを前にすると、頭では「落ち着いて」と思っていても、体は反応してしまうものです。

このとき実は、私たちの脳もパニック状態に近い反応を起こしています。

つまり”怒り”は理性の欠如ではなく”限界を迎えたSOS”なんです。

私自身、娘の叫び声を聞いた瞬間に頭が真っ白になりました。

「どうすれば泣き止む?」「何が怖い?」と焦るうちに、心のどこかで「私の努力が無駄になっている」と感じたのを覚えています。

だけど、あとで思いました。

あの怒りは、私が「どうにかしたい」「助けたい」と思っていた証拠でもあると。

大事なのは、”怒った自分を責めること”ではなく”自分の心が限界だった”と認めることです。

「ごめんね」よりも「怖かったね」と言葉をかえる

怒ってしまったあと、私は「ごめんね」と謝ることしかできませんでした。

だけど娘はうつむいたまま何も言いません。

その沈黙に、「どうすればいいのか?」と悩み続けました。

娘の心理カウンセラーの先生に相談したとき、

「”ごめんね”よりも”怖かったね”と伝えてあげてください」と言われました。

『ごめんね=私の後悔』で『怖かったね=子どもの気持ちへの共感』

この違いを知ったとき、私はハッとしました。

次に娘が泣き出したとき、私はそっと手を握りながら言いました。

「怖かったね。びっくりしたよね」

泣きながら娘が頷いていました。

うまく言葉がけできなくても『気持ちを理解しようとする姿』があれば、子どもは少しずつ落ち着きを取り戻していくはずです。

母親が冷静になれないのには理由がある

「怒りたくないのに、怒ってしまう。」

この矛盾にはちゃんと理由があります。

そして子どものパニックは”親の心”にも直結します。

泣き叫ぶ声、暴れる姿、拒絶の言葉。

それは母親の心を揺さぶる刺激でもあるんです。

パニックは”理屈じゃない”世界で起きている

私の娘が泣き叫んでいたときも「怖い!」「やめて!」「ママ助けて!」を繰り返していました。

理由を聞いても、うまく説明できない_。

いつも通っている児童精神科医の先生からは「強迫症(強迫性障害)の様子が見られます」と言われました。

確かに思い返してみると、

・何度も「これで大丈夫か?」の確認をする

・片付けができず全部床に散らばっている部屋なのに、集めている好きな本だけは綺麗に整理されている

・「〜したらママが死ぬかも」など、自分の想像で不安になりひどく落ち込む

娘にとっては”怖い”という感情が”現実”そのもので、私がどんなに「大丈夫、なにもないよ」と言っても、理屈では届かなかったんです。

以前から悩んでいる抜毛症の症状のように、強い不安をコントロールできずに苦しんでいるんだと再確認させられました。

私たち母親に必要なのは『なぜ泣くのか』ではなく『泣いている子どもの世界を想像すること』なんだと気づきました。

「どうして怖いの」ではなく「今、怖いんだね」と『そのまま受け取る』。

それがパニック状態の子どもにできる、第一歩の寄り添い方でした。

母親の”脳の疲れ”が判断力を奪ってしまう

私たち母親は、日々の小さなストレスを抱えながら過ごしています。

睡眠不足・家事・仕事・心配ごと・将来への不安__。

それらが積み重なると、脳が「もうこれ以上処理できないよー」と悲鳴を上げます。

そんなときに子どもが泣き叫ぶと、母の脳は”緊急事態モード”に切り替わります。

冷静さよりも「どうにかしなきゃ!」という防衛反応優先されてしまうんです。

私はあの日、寝不足のまま娘の叫び声で飛び起き、心も体も余裕を失っていました。

その状態で”優しく寄り添う”ことを求めるのは、正直無理があったと思います。

自分の冷静さを取り戻すには『まず私が安心できる状態を作ること」が大切だと学びました。

たとえば、、

深呼吸をして少し離れる。

子どものそばに静かに座るだけにする。

あとから誰かに「きつかった」と話を聞いてもらう。

そんな”小さな逃げ道”を自分に許すことが、結果的に子どもへの対応に余裕が生まれていくことに繋がると思っています。

私が学んだ、パニックに寄り添う方法

私が泣き叫ぶ子どもを前にして、「何をすればいいの?」と悩んでいた私が、実際にやってみて効果を感じた方法をご紹介します。

少しでも参考になれば嬉しいです。

落ち着かせようとしない

以前の私は、娘のパニックを「止めること」に必死でした。

泣き止まない、叫び続ける、何度も何度も「怖い!ママ助けて!」という姿に、「どうして?」「もうやめて」と言葉が出てしまう。

でも、娘は”落ち着きたくても落ち着けない”だけだったんだ。と気づいてから私は、泣き叫ぶ娘に何も言わず、ただ近くに座って静かに見守ることにしました。

目が合えば「ここにいるよ」とだけ伝える。

それだけでも、以前より早く落ち着くようになりました。

泣いている子どもを止めるより、安全だと感じられる空間を保つこと。

これが、母にできる最大のサポートでした。

パニック後の”回復タイム”を大切にする

泣き止んだあとの子どもは、心も体もぐったりしています。

そんな時こそ、母親がかける言葉選びはとても大切です。

以前の私は「大丈夫でしょ?」「もう泣かないよ?」と声をかけていました。

でもそれは、娘にとって”気持ちを否定される言葉”だったことに後で気づきました。

今では「怖かったね」「疲れたね」「少し休もうか」と、”今の気持ちを認める言葉”を意識して声をかけています。

泣き叫んでいた時間より、その後をどう過ごすのか。そこに回復のヒントがあります。

泣き叫ぶ夜を経て気づいたこと_母親も完璧でなくていい

あの朝4時の叫び声を、私は今でも忘れられません。

怒鳴ってしまったこと、怖がらせてしまったこと、何度思い出しても胸が痛みます。

でも、あの日があったからこそわかったことがあります。

母親も人間で、限界があること。

そして、子どもはその”不完全な私”の中でもちゃんと愛を感じ取ってくれるということ。

娘は今でも不安定な日があります。

それでも少しずつ、「怖い」と言葉で伝えられるようになりました。

それはきっと、私が”怒ってしまった後も離れなかった”から。

「怖い気持ちは悪くない」と伝えることができたからだと思います。

母親はいつだって”失敗の中で成長していく存在”です。

泣き叫ぶ子どもにどうすればいいのか分からなかった夜も、その経験が次の優しさを育ててくれる。

あなたがもし、あの時の私のように苦しんでいるなら、どうか自分を責めることはしないでください。

泣き叫ぶ子どものそばに立っている、その姿こそがもう十分に『寄り添っている』証です。

あなたの寄り添いは、ちゃんと届いている

泣き叫ぶ子どもを前にして、怒ってしまうこともある。

でも、その後どうするかは自分で選べます。

パニックの裏には、子どもの心が感じている”怖さ”と母親の”どうしていいかわからない不安”が隣り合わせにあります。

どちらも間違いではなく、どちらも必死な愛の形。

私は、あの日の後悔を忘れたくないと思っています。

優しくしてあげたいのにできなかった…。

だからこそ次は、最後まで寄り添いたい。

100点の対応じゃなくて大丈夫。

泣いてもいい、怖いって叫んでもいい。

「ママはあなたの味方だよ」と伝える。

怒ってしまっても「ごめんね」って言える。

怖さと不安を前にしている娘に「一緒にいようね」と言える。

そうゆう親でありたい。